被爆アオギリ
本家サイトの掲示板 『広島情報Board2』 にて、先日の台風18号の暴風で倒れてしまった「被爆アオギリ」に関する話題の書き込みをいただきました。そこで、台風通過の翌朝(9/8朝)、平和記念公園へその様子を見に行ってきました。ネットやTVなどで既に見てはいたのですが、現場で地面に横たわったアオギリを間近に見ると、なんとも痛々しさがより強く感じられました。すぐその脇で、まだ華奢でひ弱な感じはするものの青々と育っている「被爆アオギリ二世」の存在を知ることもできました。来年は被爆から60年、被爆アオギリもそろそろ世代交代の時期が近づいているのかもしれません。
ここで「被爆アオギリ」について、ちょっと紹介。まずは、現場の説明板より・・・
被爆したアオギリ
市内東白島町の中国郵政局(旧広島逓信局)の中庭(爆心地
から約1,300m)で被爆し、爆心地側の幹半分が熱線と爆風に
よりやけてえぐられましたが、その傷跡を包むようにして成
長を続けています。1973(昭和48)年5月に現在地へ移植され
ました。
色々調べてみますと、旧広島逓信局から移植されたアオギリは現在2本残っているようです。被爆当時、逓信病院で働いていた女性が生きて行くのが辛くなって死のうと思った時、焼かれた幹から小さな若葉を出して元気づけてくれた・・・ それが、このアオギリなんだそうです。今回の台風18号では、その内の1本が強風に煽られて根元から倒れてしまったのです。
そして、「被爆アオギリ二世」について、やはり現場の説明板より・・・
被爆アオギリ二世
平成12年(2000年)夏、この場所から約10mはなれた植え込み
の中で自然の実生から育っていた「被爆アオギリ二世」と確認
できる苗木がみつかりましたので平成15年(2003年)3月19日に
移植しました。 広島市
実は、この「被爆アオギリ二世」はここ平和記念公園内だけでなく、全国各地でも育っているようです。「被爆アオギリ」から採られた種や苗木があちこちの小中学校等へ送られて、「被爆アオギリ二世」として成長しているらしいのです。
広島市内の子供たちは、学校の平和教育の一貫でこの「被爆アオギリ」のことを聞かされているので、我々大人よりもよく知っているみたいです。「被爆アオギリ」が台風で倒れたことを知った娘は、「アオギリが倒れたというのは、原爆ドームが倒れたことと同じくらい大変なことなんよ。」と言ってました。そして、小学校3年・森光七彩さんによって作詞・作曲されたアオギリの歌があることも教えてくれました。
アオギリのうた
1. 電車にゆられ 平和公園 やっと会えたね アオギリさん
小学校の校庭の木のお母さん
たくさん たくさん たね生んで
家ぞくがふえたんだね よかったね
遠いむかしののきずあとを 直してくれるアオギリの風
遠いあの日のかなしいできごと
2. 資料館で見た 平和の絵 いろんな国の 人々や
私がみんなが考えてゆく広島を
勇気をあつめちかいます
あらそいのない国 平和の灯
遠いむかしのできごとを わすれずに思うアオギリのうた
これからうまれてゆく広島を大切に
広島のねがいはただひとつ せかい中のみんなの明るい笑顔
**追記: 台風18号の強風で倒れた被爆アオギリは、9月8日朝に植え戻しされたようです。根が傷んでるそうで心配ではありますが、何とか元気になってほしいものです。
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