折り鶴に過剰反応!??
先日は 「新型インフルエンザに過剰反応!??」 という記事を書きましたが、今日は 「折り鶴に過剰反応!??」 の話題です。「とうかさん」 や蛍が気になっていた関係で、やや間が空いてしまいましが・・・
気になる旧広島市民球場の跡地利用について 6月3日、中国新聞に 折り鶴論議 混迷深まる
という見出しの記事が掲載されました。その記事を読んでみますと・・
5月25日の市議会都市・経済活性化特別対策委員会では自民党系の議員から 「折り鶴」 への批判が噴き出した。ある議員は 「神様への供え物も (最後は) 廃棄する。折り鶴の保存は広島人の生活習慣に反する」 と持論を展開。別の議員は、5月から市職員の名札のデザインが折り鶴に変更されたことに 「なぜそこまでこだわるのか」 と語気を強めた。「いつから平和のシンボルがハトから折り鶴に変わったのか」 との意見も出た。質疑中に市職員を 「おまえ」 と呼び、反感をあらわにする議員もいた。 【6月3日付け中国新聞】
どうやら市議会では、折り鶴展示施設 (折り鶴ホール) の是非が焦点になっているようです。広島市と秋葉市長は折り鶴へのこだわりを示しているということですが、市議会側も折り鶴に対して余りにも過剰反応しているような気がしてなりませんが如何でしょうか!??
そもそも跡地計画に盛り込まれている折り鶴展示施設は・・
名称は 「折り鶴ホール」。世界中から被爆地に寄せられる折り鶴 1年分 (約10トン) を展示する。NPO法人が整備、運営し、約1億6000万円と見込む整備費は賛同する市民からの寄付を充てる。 【6月6日付け中国新聞】
という計画になっています。何も、巨額の税金を投入して広島市民球場に匹敵するようなサイズの箱物を作って何十年分もの折り鶴を詰め込もうというものではないですし、球場跡地の一部分のスペースを占有するに過ぎません。それ以外にも敷地の約 8割を占める緑地公園、旧市民球場の一部保存、レストハウスや劇場・文化施設の設置、そして広島商工会議所の移転などが計画に盛り込まれている訳ですが、何故に折り鶴ホールだけを焦点にして感情的になっているのか理解に苦しむところです。
私自身は、世界中から寄せられる折り鶴の一時保管・展示の意義を考えると、広島市の計画に盛り込まれている折り鶴ホールくらいの施設であれば、決して 「積極的に否定」 するようなものでもないし、寛容に受け入れても良いのではないかと思っているのですが・・。そして、球場跡地に関して、折り鶴ホール以外にも、もっとしっかりと考えて議論しなければいけない事は多々あるのではないかと思っています。
ま、結局のところ、現在の状況は 「坊主憎けりゃ 袈裟まで憎い」 ならぬ、まさに 「秋葉 (市長) 憎けりゃ 折り鶴まで憎い」 といった様相を呈しているように思えてなりません。もしそうだとしたら、広島へ寄せられてくる折り鶴が不憫でなりませんし、とりわけ思いを込めて折り鶴を折っている子供達に申し訳ないという気持ちさえ沸いてきます。本当に情けない・・。こんなことをダラダラ続けていると、広島市民もしらけてくるのではないかと心配になります。
それにしても、中国新聞の球場跡地利用に関する記事は、感情的なやり取りの部分ばかりを強調して取り上げているようで、まるで議論を煽るかのように感じられるのですが、単なる思い過ごしでしょうか!?? 広島在住の圧倒的多数の人々は、そんな中国新聞の記事に少なからず影響されているものと思われます。そして、中には内容を十分に吟味することもなく、「折り鶴なんてありえんよ!!」 的な感覚でもって反発している場合も見受けられるような気がするのですが・・。
偶然なのか、意図的にしめしあわせたものかは分かりませんけど、6月3日の朝日新聞に 折り鶴ホール 6割肯定
という見出しの関連記事が掲載されました。こちらは、中国新聞の煽るかのような記事とは対照的で、いたって冷静に書かれているように見えます。記事の内容は、市民団体が 「ひろしまフラワーフェスティバル」 で実施したアンケートの集計結果に関するもので・・
市が設置を提案し、市議会の多数会派が反発している折り鶴展示施設 (折り鶴ホール) が必要かについては 「規模が小さいならあってもよい」 を選んだ人が 38%で最も多く、「必要」 の 21%と合わせて約 6割が肯定的だった。「不必要」 は 26%だった。 【6月3日付け朝日新聞】
ということだそうです。この記事の数字が広島市民全体の意向をそのまま反映しているかどうかは別にして、折り鶴ホールを 「積極的に否定」 する人が必ずしも 「圧倒的に多い」 という訳ではないことが感じられます。となると、市議会で感情的になって 折り鶴論議 混迷深まる
といった状況というのは、一体何やってんの・・ という感じがして仕方がありません。
朝日新聞の同記事では、市民団体の中心メンバーの方の言葉を取り上げて・・
「跡地全体から見れば部分的な問題である折り鶴ホールで行き詰まるなど、市も市議会も市民感覚と離れたところで対立しているように思える。もう一度、最新の 『民意』 をベースに議論し直してほしい」 と話す。 【6月3日付け朝日新聞】
と記事を結んでいますが、この部分については正に同感です。
** 参考: 新聞記事
> 跡地利用計画 「折り鶴」論議、混迷深まる 【6月3日付け中国新聞】
> 折り鶴ホール6割肯定/市民アンケート 【6月3日付け朝日新聞】
** 過去の 「旧広島市民球場跡地利用」 & 「折り鶴」 関連記事・・
> 原爆の子の像 -2009.05.31
> 旧広島市民球場に 「折り鶴展示室」 -2009.05.02
> 新・旧広島市民球場 -2009.04.01
> 広島市民球場の看板取り外し -2009.03.31
> 広島市民球場跡地利用について(2) -2009.02.16
> 広島市民球場跡地利用について(1) -2009.02.15
| 固定リンク | 0
コメント
広島市民球場跡地利用に関して様々に論議されていますが、いずれも目先の課題に捕らわれた矮小なものに感じて仕方ありません。「賑わい」を求める声も「娯楽」や「商売」という響きに後押しされた「今の私たちの都合」優先の発想で、未来の世代に伝えたいメッセージを何も感じません。「被爆地」という戦後の歴史を持つ広島で「市民球場」が果たした役割は、単なる野球場というスポーツ施設としての意味だけだったのでしょうか。市民が一つになろうとした善意や希望が、日常の生活レベルで身近に具現化した建造物として、様々な人に愛着を感じさせてくれていると私は感じます。
これまでは広島市民の戦後を明るく支える空間であったこの地が、より発展的に整備されていく世紀の機会と捉えるなら、さらにグローバルで国際性豊な意義を持つ空間にしたいものだと考えるのは私だけではないと思います。
予算的論議が先行する現代においても、一人ひとりの世界市民が参加できる国際的平和貢献事業として企画立案が行えたなら、目先で完成する小規模な日本の一地方都市の観光スポット的開発となる侘しさから逸脱できるのではないでしょうか。
完成までに長い期間がかかっても、その先の時代に大切なメッセージを発信できる建造物とその建築過程というものが世界には存在しています。
レンガの一つ一つを積み重ねていくような地道で、誰もが参加できる手法を持って、世界中の人がいつかは広島に行ってみたいと思える美しい平和の象徴を「行為」として歴史に残そうとは思いませんか。
投稿: 五穀屋 秀星 | 2009.06.20 12:20
> 五穀屋 秀星さん
コメントありがとうございます。五穀屋さんが言わんとされているところは分かるような気がします。
旧広島市民球場跡地利用を考える時、かつて 「市民球場」 が果たした役割を振り返るということは重要なのでしょう。そして、戦後の復興を遂げ、時代が移り変わって、さらに未来へ向けて跡地をどういう位置づけで捉えて、その利用を考えていくか・・ というところがポイントなんだろうとも思います。(その辺りを曖昧にしたまま議論している結果が現状の 『混迷深まる』 状況なんだと思います。)
そんな理想は何となく分かりますし、被爆地としての広島を考えた場合、「グローバルで国際性豊な意義を持つ空間」 にしていくことには大いに賛同するところではありますが、じゃあ現実に何を作るのがベストなのかということになると、なかなか凡人(私)には思い及ばないのが情けないところです。
そんな凡人の浅い考えでは・・ 果たして、跡地には建造物(箱モノ) が必須なのだろうか!? という思いを抱いています。大がかりな建造物など無くとも、人々が関心を寄せるようなスペースを実現する方法があるのではないかと・・。
ただ、残念ながら、現状では地元の広島市民でさえも跡地利用に関心を持っている方々はそれほど多くはないのかなぁ と感じています。そんな現状で、世界中の人々が注目するようなスペースを実現するには、まだまだ道程は長いというのが現実であるような気がしてなりません。跡地利用の問題に関しては、多少時間がかかってもいいから、まずは多くの広島市民に関心を持ってもらい、議論に巻き込んでいくような進め方を考える必要があるのではなかろうかと感じているこの頃です。
投稿: T.Kaze | 2009.06.20 16:14