広島電鉄廿日市変電所
写真は、2007年9月に撮影した広島電鉄株式会社 廿日市変電所の在りし日の姿です。この旧廿日市変電所は 1922(大正11) 年に完成した建物で、「イギリス積み」 という 煉瓦 (れんが) 工法で建てられたものだそうです。かつて原爆投下三日後の 1945(昭和20) 年8月9日に己斐~西天満町間で運転再開した路面電車に送電したのが、この旧廿日市変電所からであったことは、余りにもよく知られた事実です。
昨年 2008年6月21日付けの中国新聞には、広電「一番電車」に送電 廿日市変電所 被爆復興支え 86年歴史に幕
という見出しで、旧廿日市変電所に関する記事が掲載されていました。その記事には・・
広電、中国電力、市が二〇〇六年から協議して送電線の廃止に合意。三月末、送電業務を広電廿日市駅北側の新変電所に切り替えた。近く旧変電所の変圧器や整流器などの設備が撤去される。旧変電所について、広電電気課は 「歴史的価値は理解している一方で、遊休施設の維持には経費がかかる」 と説明。保存するか、解体するかの結論はまだ出していない。
とありましたが、結局今年 2009年3月に取り壊しされてしまったようです。
この雑記帳ブログにコメントを付けて下さった shirusuさんのブログ記事によりますと、現在は廿日市変電所のレンガの欠片さえ残っておらず、月極有料駐車場に姿を変えているということです。
> [週刊水曜日] ぶらり広島電鉄の旅“旧 廿日市変電所 跡地”を訪ねる {2009/06/26}
さて、前後しましたが・・ この記事は、先日の七夕電車の記事 にいただいた shirusuさんのコメントを受けて書きました。七夕電車の記事のコメント欄に書くには余りにも長くなりそうでしたので・・。ただ、正直なところ、旧廿日市変電所の件については、実際にどのようなやり取りを経て最終的に取り壊しに至ったのか、その経過を充分に理解していないので、余り気の利いたことは書けそうもありません。
shirusuさんのコメントから・・
第三セクターではない、[[東京証券取引所]]上場企業として自分たち"広島電鉄"の事は『アウトサイダーにあれこれ言われず(干渉されず)自分たちだけで決めたい』という気持ちがあるのは当然と言えるかもしれません。
表に出てこない本音の部分で、そういったところは当然あるんだろうと思います。ただ、第三セクターでこそありませんけど、少なくとも地域密着の公共交通を担う企業の一つであり、市から多くの補助金を受けて車両を導入するなどしている実態もある訳で、あながち周囲の声を無視できないという一面もあるのではないかと思います。そういった意味で、広電の中の方々も色々と苦心されているのではないかと想像しています。
旧:廿日市変電所はどうすべきだったか?
全くの推測ではありますが、上にあげた 2008年6月21日付けの中国新聞の 保存するか、解体するかの結論はまだ出していない。
の記事は、広く地元市民に対して状況を報せると同時に、保存・活用に関する意見を募るという意図があったのではないかと思っています。で、その結果、多くの市民がそれほど関心を持っていなくて、保存・活用を求める声もそれほど大きくなかったことで、結局のところ取り壊しに至ったという一面もあるのではないかと思ったりもします。勿論、保存・活用にかかる経費の問題も大きかったのでしょう。
結局、旧廿日市変電所は跡形もなく取り壊しという結末となった訳ですが、一民間企業である広島電鉄株式会社の保有する被爆電車 (150形・650形) についても同様のことが起こりうるのではなかろうかと懸念しています。特に未だ現役で頑張っている被爆電車 650形・・ その維持・管理に係る広電さんの苦労は大変なものだと想像します。近い将来、引退せざるを得ない状況というのは必ずやってくるでしょうし、その時にどういった扱いになるのか!?? 非常に気になるところではあります。その時に、関心を持った多数の市民の声があがりさえすれば、何かしら保存・活用の道もあるものと期待しているのですが・・。
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コメント
新たなエントリーを作ってリアクションしていただき恐縮です。
2008年6月21日付けの中国新聞をスキャンして私のHDDにスクラップしているか見ましたが、ありませんでした。
当該記事を、廿日市市の文化財だから主体は廿日市市の住民の問題と思ったのか? その時、記事を読んだのかどうか? すら記憶にありません。
さて、その時、私が当該記事を読んでいたとして、私が出来たアクションは、せいぜい自分のブログに「残した方が良いんじゃない?」ぐらいの事を書くのが関の山だったでしょう。『保存するんだったら、お金を出すよ』なんて格好いい事、出来ませんもの。
私は2008年6月におこなわれた、広島電鉄の株主総会には多忙のため出席できませんでしたので、質疑応答で取り上げられたかは分かりません。
刹那の世界に生きるマスメディアなんてものは、傍観者に過ぎません。私も傍観者ですけれどね。マスメディアの力といっても…、弱いですよ。ぶっちゃけ、親の名義で中国新聞を購読していますが、その親は、老眼などを理由に買っても読んでいません。
ただ、新聞紙の“紙”としての機能と折り込みチラシのために買っているような感じです。
『お前が読んどるんじゃけぇ、お前が金出しゃええんじゃ』と言われた事もあるぐらいです。
つまり、新聞記事を読みたくても読めない人もいれば、あっても読まない人がいます。その人たちには、新聞記事は届きません。
私は、今は時間に少しゆとりがある状況なので、一通り目を通していますけれど、それでも記事がよほど琴線に触れなければ、記事が頭の中に残る事がありません。時間にゆとりもないと記事をスキャンする事も出来ません。
日経テレコンと契約できるようなビジネスパーソンなら、有料でも記事をサルベージできますが…。脱線してしまいました。
話を元に戻しますが、お金をそれほどかけなくても、マスメディアがたいして関心を示さない問題でも、自社のWEBを活用することによりマスメディア任せではない広報活動もできますよ。と、私は言いたいのですが、はたして、広島電鉄に伝わったのかどうか?
“地域社会に奉仕する広電グループ”は、利用者・地域住民の意見を聴き、それをどう解釈し、それによって行動をするのか?しないのか?
そのプロセスが見えた方が信頼できる会社に近づけるのではないか? と、しがらみとか無いアウトサイダーの理想論ですけれど。
投稿: shirusu | 2009.07.06 07:16
> shirusuさん
間が開いてしまってすみませんm(_ _)m。
2008年6月21日付け中国新聞の記事は、写真入りで結構大きめの記事でした。我が家では中国新聞は購読していないのですが、何故か昔ながらの紙面の切り貼りでスクラップしていました。
ほぼ 2年前、広電・白島線が廃止されるような新聞報道があったのを記憶していらっしゃいますか?? 当時、このブログでも取り上げていて、shirusuさんからも記事にコメントを付けていただいてます。当時、私が書いたのは下記の記事・・
http://f-page.txt-nifty.com/blog/2007/06/post_bda4.html
http://f-page.txt-nifty.com/blog/2007/06/post_c95e.html
当時の 「白島線廃止」 の新聞記事を見て、広島市や広電に投書や電話が相次いだということです。それだけ、多くの市民に関心がある話題だったのでしょう。その後、すぐに広電から白島線廃止を打ち消すというリアクションがありました。
あの白島線廃止の件は、ほんの一例ではありますが、ローカル中国新聞の効果を見せつけてくれているように見えます。単なる傍観者どころか、良い意味でも悪い意味でも、依然として結構な影響力を持っているように感じることもあります。一方、WEBはどうかと考えると・・ うーん、まだまだかなぁ というのが率直な感想ですね。ブログや某巨大掲示板を見ても、私も含めて、新聞・TVなど既存マスコミ報道をネタにしてワイワイやっている場合が多々あるというのが現実のような気もします。勿論、WEBの全てがそうとは言いませんけど。
shirusuさんの書かれている・・
> 自社のWEBを活用することによりマスメディア任せではない広報活動
の件、私も同感です。その点、「ひろでんアベニュー」 の最新情報などまめにチェックしていますと、広電さんの場合、それなりに WEBを活用してよくやっていらっしゃるなぁ と感じています。平均点を越える高い点数をあげても良いのではないか・・ と私は思うのですが。
投稿: T.Kaze | 2009.07.07 23:05
千田町の被爆変電所は事務所として活用されています。残すべきものと解体すべきものの取捨選択は難しいところではありますが、旧廿日市変電所は立地の悪さが否定できません。
ひろでんアベニューの活用については、路面電車の博物館というメリットを生かした観光PRに力を入れるべきだと思います。
都市観光は地域振興の起爆剤です。
投稿: ひろしま人 | 2009.07.08 07:47
> ひろしま人さん
確かに、取捨選択は難しいですね。何でもかんでも古いものを残していけば、必然的に新たなものを作る余地がなくなって発展は望めない訳ですし・・。それでも、廿日市変電所の場合、それが果たした役割を考えると、やっぱり惜しいなぁと思ってしまいます。
ひろでんアベニューについては・・ それ以前のサイトの時からずっと見ていますと、結構色々と工夫され徐々に改善されている様子が伺えます。ま、それなりに評価できるのではないかと思うのですが。現状、どれくらいアクセスがあるのか、興味がありますね。
投稿: T.Kaze | 2009.07.08 23:26
広島商工会議所による「広島電鉄“白島線”廃止」提案に関するドタバタは私も広島電鉄の株主総会に出席したりしてブログの記事にしましたので、さすがに覚えております。
結局のところ「白島線廃止」は阻止されたものの、市道中広宇品線へ皆実線(比治山線)と宇品線を付け替える提案も立ち消えになり、中広宇品線(段原・宇品東ルート)の中央分離帯には街路樹が植えられ、付け替えなど考慮していないような姿で工事完了となっています。
段原・宇品東ルートに関しては十分検討に値する提案だと思ったのですが、広島市の財政難もありますし、広電バス・広島バスの既存のバス路線と競合することから立ち消えになってしまったと憶測します。
平和大通り西線と駅前大橋線については、大田哲哉社長の広島電鉄株主総会での応答からまだ構想は残っているようですが。
>平均点を越える高い点数をあげても良いのではないか・・ と私は思うのですが。
広島電鉄のWEBサイト“ひろでんアベニュー”ですが、広島の他のバス事業者などのWEBサイトと比べると、私は良いと評価していますから、そのことも株主総会では述べてはいます。
ただ、電車カンパニーのサイトは充実していますが、バスカンパニーなど工夫する余地があるし、まだまだ伸び代があると思っているから、厳しく書いているように見えてしまうのでしょうか?
私がブログとは別に設けているサイトが放置同然になっているので、他のサイトのことをとやかく書く資格は私には無いかもしれません。
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レンガ繋がりというか、被爆建物の“旧広島陸軍被服支廠”の倉庫を広島県が解体する方針と読売新聞が2009年7月11日に報道したのはご存じだと思いますが、中国新聞ほかの報道がないので読売新聞の“飛ばし記事”かもしれません。
ただ、維持費、保存する場合の改修費用の問題の指摘は、広島電鉄旧廿日市変電所と同様です。
私は“旧広島陸軍被服支廠”の倉庫は残して欲しいと思っているのですが、どうすれば残せるのか、具体策が思いつかない現状です。
投稿: shirusu | 2009.07.12 00:21
> shirusuさん
当時の白島線廃止や段原・宇品東ルートの件は、大田哲哉社長が部会長ではありましたけど、あくまでも広島商工会議所の提案というレベルですよね。しかも、まだどう転ぶか分からない道州制を意識したものでした。それに対して、平和大通り(西)線と駅前大橋線については、既に広電の意向として各所に働きかけなどもなされているレベルの話だと認識していました。まだ、実現にはしばらくかかりそうな気配ですけど・・。ちなみに、駅前大橋線については、当然 JR広島駅前の整備との兼ね合いもあると思いますので、その辺りの調整がなかなか大変そうな気もするのですが、どうでしょうか。
レンガ繋がりの旧広島陸軍被服支廠の件は全く知りませんでした。で、つい先ほど YOMIURI ONLINEで見てきたところですが・・ 私は現地で見たことがないので、何とも言えないというのが正直なところです。出来ることなら被爆建物として保存していただきたいという思いはありますが、写真などで見る限りでは、保存するには余りにも大きすぎるように感じました。莫大な費用をかけてまで保存するのは厳しいという状況はよく理解できます。YOMIURIの記事によると、「一部の保存などについて検討する。」 という記述もありましたので、それについては是非とも検討していただきたいと思いますね。それにしても、何故ローカル中国新聞で記事になっていないのでしょうか!??
投稿: T.Kaze | 2009.07.12 01:22