宮島 管絃祭(前編)
先週 8月4日(土)、瀬戸内海を舞台にして厳かに執り行われる宮島・厳島神社の神事 『管絃祭』 を短時間ながら覗いてきました。実を言いますと、もうかれこれ 20年近くも広島市内に在住していながら、宮島 管絃祭を見たのは今年が初めてです。古来より伝承保存されてきた、これだけ大掛かりな神事をすぐ近くからまざまざと見ることができるとは・・、何とも贅沢な気分に浸ることができました。
日本三大船神事の一つとされる宮島 管絃祭について色々調べてみると・・ 10日余り前から管絃祭当日へ向けての準備が執り行われ、当日は午前中から夜23時頃に渡って瀬戸内海の干満という自然の営みの中で繰り広げられる厳かで優雅な神事のようです。詳しい解説については参考文献より・・
「おかげんさん」と呼ばれて親しまれている厳島神社の管弦祭は、旧暦六月十七日に行われる。夕方、干潮時に神霊を移した鳳輦(輿)を御座船に移し、定められた諸所で管弦を奏しながら約四キロ離れた対岸、外宮・地御前神社へ渡り、摂社を回り深夜再び本社へ還御する。神社の日焼前に御座船を横付けするために特に潮位の高いこの時期が選ばれた。管弦祭は平安時代に都で流行した船管弦の遊びを平清盛が移したといわれるもので、当時の都では大きな池を邸内に作り、船を浮かべて管弦をする宴がよく催されていた。その池を瀬戸内海に見立て、御鎮座の神を慰め奉るようになったという。【ひろしま歳時記:田中康夫著 H5.4.1発行】
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本来であれば午前中の満潮の頃を目指して宮島へ渡り、管絃祭当日の神事を最初から堪能したいところではありましたが、色々と所用があった関係で、出掛けたのは午後になってから。管絃祭の御座船が宮島・厳島神社を出発するであろう時刻に合わせて、まずは宮島の対岸、かつて遊園地ヒロシマ・ナタリーがあった辺りから観覧することにしました。
18:15頃>> 宮島の対岸から望遠レンズで眺めていると、そろそろ御座船が出発しそうな雰囲気・・。横一列に船が並んでいる様子が伺えますが、如何せん遠すぎて余り細かいところまでは見えません。
18:20>> 写真を拡大トリミングしてみると、西日に照らされながら進む管絃祭の御座船、そして御座船を曳航する江波の漕伝馬船と阿賀の鯛網船の様子が分かります。
管絃祭の御座船を曳航するという名誉ある役目を担うのは、広島市の江波にある漕伝馬保存会と呉市の阿賀漁協が引き受けているそうですが、それにはかつてこんな歴史があったということです・・
御座船は、現在は和船を三艘並べて一艘に船組をしますが、昔は大きな船を一艘使ったようです。この船には櫓が六丁あり自力で航行しておりました。
ところが元禄十四年(1701)に管絃船が地御前神社から宮島の長浜神社に帰る途中暴風雨に遭遇し、まさに転覆寸前になりました。
その時風雨を避けて錨を降ろしていた阿賀村の「岡野喜右衛門」の鯛網船と九州からの帰路、嚴島神社に参拝する江波村の「古川屋伝蔵」は二次災害をかえりみず勇気ある行動で管絃船を救助しました。それ以来阿賀と江波の両村が管絃船を曳航して祭りが行われるようになりました。【一般社団法人宮島観光協会Webサイトより】
18:26>> 後からフェリーが追いかけてきて船団に加わりました。どうやら、宮島航路定期船を管絃祭の観覧用に貸切されたフェリーと思われます。機会があれば、是非とも乗船してみたいものです・・。
18:40>> かなり近付いてきましたが、取り巻きの船がピッタリ寄り添っていて肝心の御座船と曳き船がよく見えない(^^;)。
18:45>> やっと御座船の姿をはっきりと見ることができましたが、後はどんどん遠ざかっていくばかり・・
18:51>> 地御前神社の方角へ向かって行くのを見送り・・
この後、広電阿品から電車を利用して地御前へと移動します。
19:10>> 広電・電車で移動中、一休みしている様子の御座船と阿賀の鯛網船が見えました。どうやら、江波の漕伝馬船は一足先に地御前神社へと向かっているようです。
(後編:地御前神社+広電踏切編へ続く)
>> 宮島 管絃祭(後編) -2012.08.11
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