被爆電車651号--路面電車撮影
被爆59年を迎えたヒロシマ・・・ 例年にも増して暑さが厳しくなった昨日8月6日「原爆の日」、広島市内・平和記念公園あたりは、慰霊と平和祈念に訪れたたくさんの人々で溢れ、夜遅くまで元安川の灯籠流しが途切れることなく続いていたようです。
ところで、「原爆の日」の前日8月5日、被爆直後に撮影された路面電車の写真が朝刊に掲載されていました。その写真は、撮影者の遺族の方が平和記念資料館(原爆資料館)に新たに寄贈されたもので、軌道から脱線して斜めになった真っ黒焦げの車両が写っていました。その状況から、おそらくは電車の乗客のほとんどが亡くなられたものと想像されます。
(略)被爆3日後に、爆心地から南東約700メートルで撮影した。車両の前半分が大きく脱線しており、爆風のすさまじさを伝える。(略)8月11日の米軍機による航空写真には写っておらず、被害が少なかった同車両は、車庫で整備された可能性があるという。【2004.8.5 朝日新聞より】
この真っ黒焦げの車両・・・ 爆心地から南東約700メートルの地点で被爆し、その後整備された車両といえば、現在でも現役で運転されている広電路面電車 651号ではないかと思われます。ちなみに、冒頭の写真は朝ラッシュ時間帯に紙屋町東電停で信号待ちしている現在の651号(2002.10撮影)。被爆して真っ黒焦げになった車両が、59年の時を経ても今なお現役で活躍しているというのは、すごいことだと思うのです。この651号をはじめとして、広島市内では計4両の「被爆電車」が現役で活躍しています。
・・・とはいうものの、ここ最近めっきり被爆電車 650形の出番が少なくなってきたような気がしてます。そして、今秋には最新型の路面電車が市内線に導入されるという話も耳にしており、今後旧型の「被爆電車」がどうなっていくのか非常に気にかかるところではあります。この「被爆電車」は、単に保存しておくということではなく、現役で動いていることに意味があり、その価値が上がるのではないかと思っています。今、時が流れ世代が変わって、被爆という記憶がどんどん薄れ風化していけばなおさら・・・。
**追記(2004.08.09) 以前の路面電車関連記事(広電本社前--路面電車撮影)へTrackbackいただきどうもです! こちらの最新関連記事からTrackback返し(?)させていただきますです。
> TRAROOM☆NAOKO -ANNEX-: ヒロシマに1番電車が走った
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コメント
トラックバックしましたMARUです。逆トラックバック?ありがとうございました。実はこの記事にもトラックバックを送ろうかとも思ったのですが、同一BLOG内の2つの記事に送るのもどうかと思いましてひとつに絞った次第でした。
ウチは本来音楽サイトなのですが、たまに時事ネタでこんなことを書くときもあります。
そういえば、私の記事で触れた特番ですが、アニメに入る前の案内部分と締めの部分は650型車内で撮影されたものでした。車庫にずらっと並んだ650型は壮観でした。歴史の証人という点でも。
投稿: MARU | 2004.08.11 01:50