御幸橋のモノクロ写真
広島市中区千田町、京橋川に架かる御幸橋(みゆきばし)の西詰め。路面電車が通るすぐ脇に大きく引き伸ばされたモノクロ写真付きの原爆被災説明板が設置されているのをご存じですか?? 上の写真では、広電グリーンムーバー5007号のすぐ向こう側に小さく見えているのですが・・ なんとこの写真は、1945(昭和20)年8月6日の原爆投下直後、被爆の3時間後にこの場所で撮影されたものだそうです。ここは爆心地から約2.3キロメートルの地点になるようですが、その写真には原爆によって焼け出された被爆者が集まり、火傷の応急手当を受けている様子が写しとられているようです。
つい一週間前の 1月16日、この被爆当日の写真を撮影された元中国新聞社カメラマン 松重美人(まつしげ よしと)氏が92歳で亡くなられたそうでして、新聞などで報道されていました。改めて、心よりご冥福をお祈りいたします。
松重氏は、当時被爆直後の広島市内を歩き回って5枚の写真を撮影されたそうです。それらは、唯一「当日」記録された原爆の惨状を伝える写真ということで、たいへんに貴重な写真であるようです。余りにも悲惨な情景を目の当たりにして、なかなかカメラのシャッターを切ることもできず、わずか5枚の写真を撮るだけでも大きな葛藤と涙があったようです。
御幸橋西詰めでの写真撮影について、松重氏の手記で次のように記されています・・
私はこの場の惨状を写真に撮ったが 瀕死の苦しみにあるこの
人たちは 私をなんと見たであろう 死にかけているものを救い
もしないで……冷酷無慈悲なヤツと 何百人の眼が見ているよう
で 二枚のシャッターを切るのがやっとだった
(広島の路面電車65年 発行/広島電鉄株式会社)
職業カメラマンをしても、シャッターを切ることを躊躇させるほどの極めて悲惨な情景というのは、今の我々にはなかなか想像するのも難しいものです。もし、自分がその場に居合わせたとしたら、はたしてカメラのシャッターを切ることができたかどうか・・・??
今年で被爆60周年・・ 原爆を直接体験された方々が亡くなり世代交代が進んでいく中で、こうした原爆の惨状を記録した写真は非常に貴重で意味のあるものだと思います。当時の記憶を風化させないためにも、被爆当時の写真がいつでもすぐ目にすることができるところで公開され、そして若い世代の人によって語り継がれていくことを改めて願うばかりです。
ご参考・・
・原爆被災説明板-御幸橋-(広島市)
・中国新聞 2001被爆者の伝言: 松重美人氏の手記が掲載されています。被爆時、御幸橋で写真撮影した際の様子や広島市内の惨状などを記されています。
**追記(2005.01.23):
この記事に『今日のぼやっきー』 さんからトラックバックをいただきました。 「あの写真、義父が写っているかもしれません。」 とのことで、ちょっとビックリしています。
> 今日のぼやっきー: 原爆のこと
それから、『猫電車日記』 さんが被爆当日の御幸橋西詰の写真について記載されてるのを発見。御幸橋西詰、他のモノクロ写真も掲載されています。
> 猫電車日記 - モノクロームの広島 2005 正月(2)
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